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CEOスティーブンが起業に至るまでの経緯と想い〜【前編】バックグラウンド編〜

CEOスティーブンが起業に至るまでの経緯と想い〜【前編】バックグラウンド編〜

September 27, 2021

こんにちは!LLL ASIA代表のスティーブンです。気づけばベトナムに来てはや5年に、LLL ASIAを創業してから2年になろうとしています。この記事では、「なぜLLL ASIAを起業するに至ったか」を私のバックグラウンドと起業に至る想いを書いてみたいと思います。

本記事は前半の「バックグラウンド編」です。後半の「起業編」はこちらから確認できます。

Padletで作成されました

13歳、日本へ家族で移住

ほとんど父親と一緒にいなかった幼い頃、写真の真ん中が私です

私は、1990年生まれ、マレーシアのマラッカ海峡にあるペナン島という島で生まれた中国系マレーシア人で、男3人兄弟の末っ子です。父親は自分が生まれる前に地元でたくさんのビジネスをやっていてうまくいった時もあったのですが、結果的にすべて倒産し大きな借金を課せられてしまいました。

私が生まれてすぐに父はいわゆる出稼ぎで日本に単身赴任し、一年に一度の旧正月の時にしか帰ってきませんでした。いつも最先端のゲームやおもちゃを持って帰ってきてくれる父は子供だった自分にとってヒーローのような存在でした。

13歳(中1)まで地元のペナン島で過ごしていましたが、とある日、日本に出稼ぎをしていた父が帰ってきて日本へ家族を旅行に連れていってくれました。

翌年、父から、「日本いいでしょ。今度は日本に行って、もし気に入ったならそのまま日本に住んでもいいし、合わないなら帰ってマレーシアの中学校を続ければいいよ。」と言われ1ヶ月間ほど日本へ行きました。

2週間後、また父から、「中学校に登録した!これ、制服!来週から学校ね。」・・・突然告げられ、思いがけない形で日本での生活がスタートしました。

マレーシアの友達にお別れも言えず、日本語の勉強もしていなかったので、もちろん1ミリも話せませんした。フロンティア精神溢れる父親は子供の教育にも影響していました。

気づけば学校に入っていて、とはいえ家庭は経済的に裕福ではなかったのでインターナショナルスクールではなく、普通の公立学校に入りました。ゼロから日本語を必死に勉強し、約3年間で不都合なく人と会話できるレベルまでいきました。高校へ進学し、浪人を経験、一般受験でなんとか希望の大学に進学をしました。大学もなんとか入れた安心感があって、普通の学生生活を送っていました。

  • 親にうまくだまされ急に日本での生活が始まった

大学インターンで「仕組みを作る人」になりたいと思う

大学に入ってからは以前のように何かに没頭することもなく、周りと同じようにバイトしてサークルに行き、そして「単位を取る」ために大学に行くようになったのです。それまでは、「日本人並みに日本語を操れるようになる!」との一心で必死に頑張ってきましたが、ある程度成果がでて、無事大学にも入れたことで、安堵すると同時に、いわゆる燃え尽き症候群のようになってしまったのかもしれません。

大学1年生の冬、東日本大震災がありました。私の住んでいた古いマンションはすごい揺れで、ビルが崩れ「このままもう死ぬかもしれない」とその瞬間は真剣に思いました。同時に、いつか死んでいくのであれば何かを成したいと強く思ったんです。そして、「「単位を取るだけ」の大学に行くために一生懸命に日本語を勉強したわけじゃない」と目覚めたのです。

この原体験から震災後、もっと有意義な大学生活を過ごすために、私は2つのことをしました。

Wantedly 2015 Awards の集合写真

1つ目はもっと世の中を知るためにインターンシップをすることです。色んな企業でインターンシップをした中で、特に Wantedly、trippiece、Studyplus など創業1~3年のスタートアップ企業で、ビジネスの面白さにハマってしまいました。起業家や経営者の身近で働くことで、彼らから様々な価値観や広い視野を学べました。今まで考えたことがない世界を知ることができ、世の中には「仕組みが作れる人」と「誰かに創られた仕組みを活かして働く/生きる人」がいると理解することができました。

trippiece のメンバー

Wantedly は、従来の転職斡旋モデルを覆し、リーズナブルな価格で求職者と企業を直接的に繋げるプラットフォーム(仕組み)を作っています。

trippiece は、従来のツアーパッケージ型旅行を覆し、旅行者が行きたいところ・やりたいことをオリジナルに企画しインターネットを通して仲間を集める旅行の新たなスタイル(仕組み)を作っています。

Studyplus は、孤独になりがちで継続しない勉強を記録・可視化できる仕組みを作り勉強を共有できるソーシャルな要素を取り入れ、学習の形(仕組み)を変えました。今では、大学受験生の3人に1人以上が使う学習管理プラットフォームになっています。

それに気づいてから自分は「仕組みを作れる人」になりたいもしくはその手伝いをしたいと思うようになったのです。

  • インターンで起業家から刺激を受け、ビジネスの面白さを知った。

東南アジアでバックパッカー「自分が生まれ育った東南アジアでビジネスしたい」

タイ・バンコクにて

より有意義な大学生活を過ごすためにした、2つ目のことは、もっと他の世界を知るために旅に出ることです。

長期休暇を利用して、自分が生まれ育った地域である東南アジア(ASEAN)を訪れようと思いました。仲間を集め、東南アジアを1ヶ月で回るバックパッカー旅行に出かけました。その後、東南アジアの魅力にハマり、マレーシアはもちろん、シンガポール、タイ、カンボジア、ラオス、ベトナムを2回も周遊しました。

東南アジアはどこも自分が思ったより遥かに発展していて、その中でもベトナムはとにかく若者が多く、熱気が凄まじかったです。もし自分がチャレンジするなら、マーケットとしてまだまだ成長余地が大きく、ポテンシャルが高いこのASEANで何かしらの仕組みを作り、成長に貢献したいという思いが込み上げました。

  • マレーシア人として日本に住んだ経験をいかして、東南アジアを豊かにしたいと思った。

Oneteam (ワンチーム)に入社

Oneteamのメンバー

最初に就職した企業は、まさに"スタートアップ"で、ビジネス用のコミュニケーションツールを企画・開発している Oneteam (ワンチーム)という会社でした。スタートアップの会社で5人目の社員として入社し、採用、Webマーケ、セールス、CS、QAと様々な経験をさせていただきました。社長はこれから東南アジアにサービスを展開したい思いが強く、東南アジアでいずれ働くことを視野に入れて Oneteam への入社を決めました。創業期のメンバーは、みな30~35歳で大手や有名ベンチャーの最前線で活躍していたベテランでした。私は5番目の社員として入社しましたが、未だになぜ新卒の私が入社できたのか分かりません。今思えば、本当に採用していただいて感謝しかないです。

インターンシップで培ってきた業務経験と根性でなんとか仕事をこなしていました。良くも悪くも専門領域がなかったので、誰かがやらなければならないが手が足りなくてできないような業務が回ってきていました。採用やカスタマーサクセスの仕事をやったり、イベントに出展・参加してリード顧客の創出する活動を行ったり、顧客のサポートなどを担当しました。

その後、自社初の QA(Quality Assuarance、品質保証)担当として、エンジニアからプロダクトの仕様を把握して、テストケースを作成し、機能が仕様通りに正しく動作するか、ユーザーが要求しているように使えるかなど、様々な観点からテストを実行していました。また、カスタマーサクセスが顧客から拾った声を集約し、プロダクトチームに伝達する役割も補っています。品質保証は未経験だったのですが、たまたま SHIFT (シフト)というテスト専門会社で働いている友人がいたので、何を勉強したらいいのかを聞いたり、勉強会に行ったりしました。(まさかこのグループ会社で将来働くことも知らず)

ソフトウェアテストは、一見とても地味に見えます。「バグを探しているだけでしょ」とよく思われます。しかし、実際にはとても深いことをやっていて、その中にクリエイティブな思考も必要です。なぜなら、そんなに簡単にバグを探し出すことができないからです。どういう風にテストすれば限られたリソースの中で効率よく見つけたいバグを見つけ出すのか、顧客に期待される品質にできるのか、頭を使って考えないといけないのです。

  • 東南アジアへの展開を視野に入社。ソフトウェアテスト(品質保証)を担当する。

ベトナムへ移住・事業立ち上げに参画するも挫折

旧: SPARK X LAB Vietnam のメンバー

Oneteamで約1年半が経ったころ、この会社が東南アジアに進出する際に、自分も行けるかもしれないとは思ったものの、もっと早く東南アジアで働きたいという思いが捨てられず、たまたま知り合いの東南アジアの会社がSNSで人材を募集していたので応募しました。

トントン拍子で選考が進み、応募してから1ヶ月で私はベトナムへ移住していました。任されたのはベトナム人向けのIT人材の転職サービスの責任者でした。ベトナムの日系IT企業 REAPRA Technology Vietnam (旧: SPARK X LAB Vietnam) に入社しました。ITのエンジニアに特化した転職サイトの事業責任者として働きました。

しかしスキルが合わず7ヶ月で辞めてしまいました。初めてベトナム人の部下をマネージメントし、事業をドライブしていくことはかなり難易度が高かったです。とにかくトライアンドエラーで前に進もうと必死で、何度も事業計画とビジネスモデルを作り直しました。半年が過ぎた頃、求められていることと自分の能力があまりにもアンマッチだったことに気づき、上司と話し合った結果、会社を去ることにしました。

しかし、このタイミングで自分の力で事業を作っていくことにチャレンジができて非常に良かったです。事業を創る難しさ、自分の強みと弱み、これから伸ばさないといけない力が分かりました

  • 事業を創る難しさを痛感したが、むしろ起業への情熱が増した。

ベトナム転職、SHIFT ASIAに入社

SHIFT ASIA メンバー

私はITエンジニアの転職サービスをやっていたので、ベトナムの日系IT企業でずばぬけて採用に力を入れていた会社があることを知りました。それが、SHIFT ASIA (シフトアジア)でした。Oneteam で品質保証を担当していた時にSHIFTを知っていたのでそのグループ会社であることはすぐに分かりました。

その時、まだ設立して1年未満だったのですが、すでに80人を超える社員が在籍していました。スタートアップを経験した自分には、それがどれだけ大変なことか容易に想像できたのですが、「どうやってこんな急激に従業員を増やしてたのか?」採用、仕組み作りについて非常に興味がありました。日本語のネイティブ人材も募集していたので、Wantedlyでエントリーして話を聞いてみようと会社訪問したことはきっかけでした。

インターネットの普及や技術の進歩により、世の中にはアイデアに溢れ、それをソフトウェア製品にしようとしている人たちが増えました。しかし、どんな優秀なエンジニアが開発したソフトウェア製品でも、最初は正しく動作しないものです。不具合があるまま製品を世の中に送り出してもせっかくのいいアイデアが台無しです。システムの不具合により情報漏洩で損害賠償を課せられたり、交通システムや医療機器の場合は命に関わることもあるのです。

SHIFT は、テストを通して高性能、高品質な製品が社会へ送り出される為の“最後の砦”として、製品開発において大変重要な役割を果たしています。地味で、意外と難しくてエンジニアがやりたがらないソフトウェアテストを愚直にやってきている SHIFT だからこそ、非常に高いポテンシャルを感じました。日本国内のソフトウェアテスト市場でトップシェアを取っている理由がよく分かりました。

SHIFT では toB 向けの ERP や会計ソフトなどエンタープライズ向けシステムから toC 向けの Web サービスやスマホアプリなどの案件を担当し、20プロジェクト以上最大20名のチームを統括・管理などプロジェクトマネージメントを担当しました。

  • 急成長する SHIFT ASIA で大人数のマネジメント・オペレーション・組織作りを学んだ、修行期間。

まとめ


13歳までマレーシアで過ごし、急遽父親に連れられ日本に移住しました。

大学時代でいろんなスタートアップでインターンした経験や東南アジアバックパッカーをした経験から影響され、将来的に東南アジアでビジネスしたい思いが芽生えました。ベトナムに移住してから挫折を経験するも東南アジアでの起業への想いを再確認し、急成長する SHIFT ASIA で修行した話を書きました。

後半の「起業編」では、どのようにして起業するに至ったかの経緯と起業への想いを書きたいと思います。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

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